「コロナに負けず頑張る店主!」
二年間に渡るコロナ騒ぎで、消費流通は
大きく変化しています。
その厳しい時代の地域商店街で
営業中のお店の対応や工夫、
そして経営者の思いについて
一文を、寄せていただきました。
みなさまにとっても

元気の基になれば幸いです・・・。

寅ちゃんの旅立ち 時は今
・・・ほほ笑みの笑店街・・・
  金子高見(清水園)

私たちには生きていると、思いもかけないことが
次々と起こります。
地球規模のコロナのようなものでなくとも、
地域に起こった災害も、
病魔も個人にとっては全てを
消してしまいます。

私も今夏、三十数年続けてきた私の表現が
、突然閉ざされてしまいました。
親指CM関節症とのレントゲン診断です。
肩から首にまで、眠りにつくことも
容易でなく痛みは続きました。
どうして今後、店を続けていけるのだろうか。
考え抜き、行きついた先は、
出来なければ今出来ることを
やればいい、という単純な考えです。

来年は寅年です。
毎年続けてきた干支の12年前の作品の中に、
まだ私には未完成なものがありました。
その作品に物語をつけて完成させました。
手指が駄目でも、つたない言葉なら
私にもできる、
それが「寅ちゃんの旅立ち 時は今」です。

寅ちゃんは葛飾柴又の寅さんの姿を
借りています。寅さんの生き方は、
私みたいです。店もこんな生き方みたいに
続けてきました。
これからもそうでありたい。
ぜひ、皆さまにご笑覧いただければ、
嬉しいし本望です。

 私にも、内患外憂、窮地に立たされた
ことが幾度もありました。
その時、勇気を与えてくれたことが
あります。
東北大震災の後、海岸のがれきの上に
一人たたずんでいたおばあさんが
いました。
話しかけたらニコニコと
答えてくれたそうです。
どうしてニコニコ応えられるのですか?
と問うたところ、私はこの震災で
全てを失いました。
あとに残されたのは、笑うことだけです、
と答えたそうです。
この答えに私も絶句しました。

 もう一人は当時、私が病棟で一緒だった、
私よりはるかに若い女性の言葉です。
私の比ではない深刻な病状の中でも
楽しい会話に終始していました。
食べ物の話から飲み物の話へ移りました。
今何が飲みたいの? 私の問いかけに、
即座に「ビール」と答えると思いきや
「水が飲みたい」と答えるではありませんか。
私は呆然としてしまいました。
そんな病状の中でも、最後まで
気丈に明るく答えてくれていました。
「こんなことで絶対、駄目になんか
なりたくありません。
必ず元気になって今までの生活に
戻りたい」
明るい笑顔にただただ
胸が詰まりました。
その瞳の輝きを今でも
忘れることはできません。

 いろいろな人に支えられ
私たちは生きている、生かされています。
そんな中で笑いは、人に生きる希望を
与えると信じたい。
この街のスローガンの中に
「ほほ笑みの笑店街」という言葉が
あります。
私たちも、どんな時でも
笑顔は失わずに暮らしたいですね。

私の店は横丁にあります。
朝を迎えると、お向えさん、
お隣さんの明るく優しい笑顔に
出会えます。

私にとってのうれしい
かけがえのない宝物です。